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おせんころがし(前編)

国道128号線は房総の海岸線を走る千葉の主要国道。

Osen_02
これはその鴨川近くの旧道部分に立って撮影したもの。

古くからここは交通の難所だったが、現在は新しい国道が整備され危険は解消された。
正面の赤い橋桁の部分がその新道で、正面の山を境川トンネルで抜ける。
軽トラの見える左手が旧道、右側は内浦の港へと降りる生活道路になる。
この部分は広く整備されているが、旧国道とはいえ基本的にはクルマのすれ違いもできないほど狭い道が続く。


Osen_05
正面の山を遠望してみる。
中腹にかつての道の跡が見えるだろうか。
すっかりヤブに覆われた部分も多いが、この断崖に張り付くような道が旧街道(房総東往還)なのだ。


Osen_06
さらにアップしてみた。
崖に刻まれた道の跡が見えるね。
こんなところをかつては馬車まで通行していたという。
まるで日本海の難所「親不知」(おやしらず)を彷彿とさせる難所だ
残念ながら今は完全に封鎖されて通り抜けることはできない。


Osen_07
崖の道の終点は右端に見える石塔の部分。
ここから道は切り通しを経て(安全な)内陸部へと降りていった。

この高さ20m、約4キロにも渡る難所の名前を古くから「おせんころがし」といった。
ここにはこんな悲話が伝えられている。


この地の豪族は強欲で、苛酷な年貢を科しては領民を苦しめていた。
一人娘のおせんはそんな父に心痛め、説得したが父が聞き入れることはなかった。
そしてついに領民たちは蜂起し、ある夜一同は殺害を企て父親が寝ていたところを簀巻きにして断崖から夜の海へ投げ落としてしまった。
しかし実はそれは計画を察知した一人娘のおせんが身代わりになったものだった。
翌朝、それを知った領民たちは悲嘆にくれ、おせんに詫びるためここに地蔵尊を建て供養したのだった。

ここに見える石塔がそのおせんの供養塔なのだ。
今度はその供養塔の場所へと廻ってみよう。

おせんころがし(後編)へ続く。

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コメント

おはようございます

仮にただの言い伝え話であったとしても、前編を読んだだけで涙が溢れますね。今時、こんな娘なんていませんし・・・。

まあ、簀巻きにして抱えあげる際に、「ん??、何かおかしい・・・」と思わないのが不思議ですが、昔は電燈もなかったことだから詮索してもしょうがないのかな・・・。

これがうちの娘なら・・・・・、考えるのやめとこ^_^;

投稿: poohpapa | 2014.10.02 07:27

poohpapa さん
ありがとうございます。

>これがうちの娘なら・・・・・、考えるのやめとこ^_^;

そんなことないでしょう。
いくつになっても親にしてみれば子供への心配は尽きませんが、これまでの記事を拝見する限り、お嬢さんしっかりされていますよ。

少なくとも、何が目的か毎日ガストに通い詰めるオヤジより。
タッタッタッ=3=3

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2014.10.02 07:40

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