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縄地金山3【大名坑編】

縄地金山2【鉱山跡編】から続く。

ところでこの縄地金山を開いたのは江戸幕府の金山奉行・大久保長安だと伝えられている。
その屋敷跡が残されているというので寄ってみる。

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この『地福院』というお寺さんの一角に屋敷はあったという。
この石段の上だ。
標高は80mほどだが、海に近い縄地の集落からはかなりの高台ということになる。


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お寺さんよりも広い、このサッカー場のような芝地が屋敷跡。
今はモダンな地域の公民館が建てられているが、よく見ると周囲には古い石垣が巡らされていて、確かに歴史を感じさせる。
ここから山肌に位置する支配下の鉱山を眺めるのが長安の日課だったという。
(その後江戸幕府の老中まで上り詰めた長安だが、金の枯渇と共に死後不正蓄財の罪で断罪、7人の子息は全員処刑という運命を辿っている)


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屋敷跡から狭い山道を迂回して再び登り、山際のこんな広場にやって来た。
ここから正面のヤブに侵入する。


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すると木陰から現れた、暗い穴。
これが縄地金山の坑口でも最大だったという『大名坑』と呼ばれるものだ。
金山を視察に来た大名が、馬に乗ったまま入れたという逸話から名付けられたという。


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今は入口に大量の土砂があり、内部は水没してしまっているが、確かにかなりの広さ、高さがあったことが窺われ、馬に乗ったままというのもあながち作り話のホラではないようだ。

【お終い】

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

・持倉鉱山跡はこちら
・倉沢鉱山跡はこちら
・峰之沢鉱山跡はこちら
・持越鉱山跡はこちら
・寝姿山鉱山跡はこちら
・矢筈山鉱山跡はこちら
・茂倉鉱山跡はこちら

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