茂倉鉱山(早川町)【前編】
山梨県早川町の辺りは鉱山跡が多いところ。
奥沢金山など武田黄金伝説が残るものもあるが、ここ茂倉(もぐら)鉱山は残念ながら金を産出した訳ではない。
戦争の槌音が間近となった1938年(昭和13年)頃、経済封鎖による資源不足を解決する策としてこの山から主に石膏石を産出するため拓かれたという。
石膏?
たかが石膏というなかれ。
石膏と聞いてすぐイメージできるのは建築資材くらいだが、他に医薬品や化粧用、さらに身近なところではお豆腐の製造なんかにも使われる、生活に密接した大事な原料なのだそうだ。
しかし、そもそも鉱山の生産性が低かったんだろう、終戦と共にここ茂倉鉱山は閉山となってしまったという。
県道沿いの新倉・集落から急な山道を登ること4キロ。
標高1000mに近い山肌に茂倉の集落はある。
言わずと知れた限界集落だ。
だいたい名前がモグラなのにこんなに高いなんて。
その途中、林道脇から急傾斜を降りて行く。
ほどなく辿っていたわずかな手掛かりの木樵道も消失した。
地形図から予想はついていたが、実際、傾斜はかなりのもの。
(振り返って撮影)
すると樹に絡げられた1本のワイヤーが目に留まった。
結構古いもので、辺りに木材を切り出したような痕跡もないから、これはもしかして昔の鉱山関連のものなのか?
いずれにせよ、迷った時にこうした人工物を見つけると勇気百倍になる。
ワイヤーに沿ってさらに下ってみた。
すると、大きな岩肌にやけに不自然に平らな石の表面。
すっかり苔むしているが、これはもしやコンクリート?
かつての鉱山坑口を人工的に塞いだものではないのか。
そこで周辺を探ると、ついにここが鉱山であったことを証明するものが落ち葉の積もる足元から見つけた。
それはトロッコに使われたのであろう、レールの残骸。
しかしこんな急傾斜の山肌にトロッコって、ほんとうに使えたのだろうか。
さらに転がるように傾斜を下っていくと、ついに沢まで着いてしまった。
いかん、計算が違う。
下調べでは、目的の鉱山跡の平場は沢よりも20mは上の筈。
沢まで下ってしまっては行き過ぎだ。
やはりルートを間違えたことで、目的より降りきってしまったようだ。
見渡すと沢床には古びた2本の鉄製水管。
ナニコレ?
管からはきれいな沢には不似合いの不気味な茶色い水が流れ出ていた。
今度はこの半ば埋もれた水管に沿って斜面を登り返すことにした。
するとそこには斜面に隠れるように、やはり茶色く濁った水をたたえた坑口が潜んでいた。
ここで算出していたのは石膏石なんだから、まさかここみたいに鉱毒はないと思うが。
茶色い色はただの鉄サビと思いたい。
茂倉鉱山(早川町)【後編】に続く。
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