茂倉鉱山(早川町)【後編】
茂倉鉱山(早川町)【前編】から続く。
茶色い水をたたえたかつての坑口の脇には、古びたトラロープが上方に向けて設置されていた。
なんだ、これを見つけて辿ってくれば簡単に斜面上部からここまで来れたんじゃん。
近くの樹にリボンでもあればすぐに気が付くのに……。
とはいえ、これでひと安心。
まさに「虎の子」のトラロープを頼りに逆に登り返すと、やはりちゃんと目的の平場にたどり着くことができた。
しかし周囲はどちらを向いても崖。
こんな急な斜面の中に、よくこれだけの平地を造り出したものだ。
平地の少し下方には、今も小さな小屋が残されていた。
この1棟だけが残されていたのは、唯一石造りだったからだろうか。
四方の壁をブロック様のもので積み上げた一方、屋根は簡素な木製という造り。
これは火薬庫とのこと。
もう特徴から察しはついていたけれどね。
この平場には作業場の他に宿舎まであったということで、周囲の土手は石垣で頑丈に整えられていた。
それでも閉山後、竹に侵食されているようだ。
そう、廃屋を乗っ取るのは、いつも竹。
一方、インクラインがあったという話もあるが、顕著な痕跡を見つけることはできなかった。
電線を通したのだろうか、きれいな碍子が埋め込まれたままの壁が転がっている。
みごとに育った美しい苔が、まるで本来そうであったかのように化粧を整えていた。
さらにその片隅には二つ並んだ竃(かまど)の残骸。
戦時中の物がない時期に、こんな山の奥で何を煮炊きしていたんだろう。
これも使われなくなった年月の重みを緑の苔が主張しているようだ
お世話になったトラロープ。
上まで登り返してよく見たら、肝心の端っこはもう編み目がむしれて黒の一本だけになっているではないか。
くわばら くわばら (古っ)
こんなものを信じて体重を預けていたなんて……
【お終い】
なお茂倉鉱山にはこの前山の他にもう一つ後山と呼ばれる別の鉱山もあったと記録されている。
また新倉・集落から登るのかな。
資料がなくて場所を特定できていないが、いつか訪ねてみたいものだ。
・持倉鉱山跡はこちら。
・峰之沢鉱山跡はこちら。
・湯ヶ島鉱山跡はこちら。
・持越鉱山跡はこちら。
・寝姿山鉱山跡はこちら。
・矢筈山鉱山跡はこちら。
・縄地鉱山跡はこちら。
・大賀茂鉱山跡はこちら。
・河津鉱山桧沢坑跡はこちら。
現場で撮影したよくわかる動画はこちら
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