秩父・滝川森林鉄道跡を歩く【中編】
秩父・滝川森林鉄道跡を歩く【前編】から続く。
やがて滝川森林鉄道跡で最大のビューポイントにたどり着いた。
それがこの片洞門だ。
「洞」とは中が空になったもので、「洞門」はいわばトンネルのこと。
それが「片洞門」となると、岩盤を片側だけ削り取って人や車が通れるようにした「半トンネル」ということになる。
深い軒下のようなものね。
これは通り過ぎた反対側から。
頭上にせり出した岩盤が、えもいわれぬなんとも良い味を出しているね。
見ようによっては獅子の頭のようにも?
頭上を見上げると、Ⅰ本の角材がボルトと番線で取り付けられている。
当時の車両はガソリンカーやバッテリーで自走する小型のモーターカー(バッテリーロコ)だったから、動力用架線のものではあり得ない。
通信線を吊っていたものだろうか。
そしてその足元には寄せられた枕木たち。
当時は再使用する目論見があったんだろうか、大事に保存されている。
これが枕木である証拠に、穿たれた「犬釘」がまだ残されている。
その形が垂れた犬の耳のよう、というのが犬釘の語源らしいが、これは明治時代にイギリスから伝わったから。
アメリカのものはもっと丸くて「亀釘」と言われたそうだから、もしも先にアメリカから鉄道が伝来していたら日本でも「亀釘」として普及したんだろう。
別にカメへんけど。
やがて道幅が突然それまでの倍ほどに広がった。
これは振り返って撮影したものだが、これはおそらく車両の「交換所」の跡か。
残念ながらここに何も当時の痕跡は残されていないが、もしレールが現存していればきっと入川森林鉄道のようにこんな景色が見られた筈。
返す返すも惜しい。
(特撰森林鉄道情景より (C)東京大学農学部)
1916年(大正5年)、当時の東京帝国大学が学生実習のため地元から山林を購入したのが東大演習林。
東大演習林は他にもいろいろな所で見掛ける。
君津のあそこもそうだったっけ。
その演習林から産出した林産物を運ぶために引かれたのがこの森林鉄道。
林産物は民間に売却し、大学の収益に充てられたそうだ。
そして再び道は大崩落。
結構危ない。
君子危うきに近寄り過ぎたかな。
面倒だがもう一度国道から大きく迂回する。
秩父・滝川森林鉄道跡を歩く【後編】に続く。
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