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金で売られた三重の塔

ここは長野県の松原湖畔。

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実は松原湖というのは3つの湖の総称で、ここはその一つ「長湖」に突き出した半島部分。
この左手に見えているのが長湖の湖面。
かつてここにあったと伝えられる「神光寺」というお寺の跡を訪ねて来たのだが、この先は私道になっていて進めない。


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林の中に垣間見えるいくつかの石のようなものが、まだ遺されているという諸堂の礎石なんだろうか。
残念ながら、閉鎖された私道に入って指導を受けるのはイヤなので引き返す。

神光寺は平安時代の初期、826年(天長3年)に創建。
明治まで78代も続いた由緒正しいお寺だったという。
しかし明治政府が定めた『神仏分離令』により、神光寺は廃寺。
明治3年ここにあった三重の塔は、他のお寺に売り渡されたのだという。


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そこで今度は一転、三重の塔の嫁入り先である佐久市までやってきた。
神光寺にあった三重の塔は、今はこの地の「貞祥寺」に移築されているというのだ。
貞祥寺は境内の広いたいへん大きなお寺で、その三重の塔を探すのに苦労した。
森林鉄道探索の後だったので、足がヘロヘロだったしね。
やがて木陰の向こうに現れた三重の塔は、想像以上に立派なものだった。


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貞祥寺は室町時代の1521年(大永元年)に前山城主の伴野貞祥が、祖父と父の追善のため開基した曹洞宗の古刹。
三重の塔の価格は金112両2分であったという。
現在のお金に換算するのは難しいが、およそ2千万円くらいにはなるだろうか。
それだけの価値は十分ありそうだ。

なぜ神光寺が廃寺になったのかというと、神光寺の住職は諏方神社の神主も兼ねていたため、明治政府の強権の前でいずれかを辞めなければならなかったのだ。
また当時神光寺の本堂は台風のため倒壊していて三重の塔だけが建っていたということもあり、塔だけの生存が許されることはなかったという。
歴史の悲しい一面を見た。

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