武田勝頼公終焉の寺(景徳院)
武田勝頼公を祀る町から続く。
大和中学校から少し山を登ったところに武田勝頼・信勝・北条夫人の菩提寺『景徳院』はある。
1583年(天正10年)、勝頼と家臣ら殉死者の菩提を弔うため、徳川家康が寺領を寄進し、景徳院は創建されたという。
繰り返された火災から類焼を逃れた『山門』が県指定有形文化財に、また境内及び武田勝頼墓が県指定史跡となっている他、境内の桜の樹が甲州市の天然記念物に指定されているそうだ。
起伏のある広い境内をしばらく彷徨ったあと、やっとこの『没頭地蔵』にたどり着いた。
首級をとられた勝頼(37歳)、信勝(16歳)、そして北条夫人(19歳)の3人を祀ったものなので、地蔵尊はいずれも頭部がない。
ずいぶんな傾斜地に設けられているが、「地蔵を動かすと祟りがあるから」というのもまた宜(むべ)なるかな。
この扁平な石はこの上で北条夫人が自害したとされる『生害石』というもの。
北条夫人はその名の通り、相模の戦国大名・北条氏康の6女で、政略結婚で勝頼に後妻として嫁いだもの。
自害の前夜、勝頼は北条家へ戻るよう説得したものの、夫人は共に果てる道を選び、わずか19という若さで短い生涯を終えたことになる。
【辞世の句】
「黒髪のみだれたる世ぞはてしなき 思ひに消ゆる露の玉の緒」
(今の世の中は黒髪のように果てしなく乱れ、私の思いは露の玉のように儚く消えようとしています)というような意味か。
お姫様というと幸せそのもののようだけど、大名の娘にとってもまた悲しい運命(さだめ)の時代だったんだね。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 稲又川橋が消えた(2021.12.12)
- 「波の伊八」の飯縄寺(2021.06.08)
- 巨大鳥、千葉に飛来(2021.06.04)
- 南極で地震(2021.02.05)
- 移住したい国(2021.01.25)
「歴史」カテゴリの記事
- 鳴かぬなら、どうしましょ、ほととぎす(2023.04.23)
- 怪我の功名だったかも(2019.12.26)
- ツタンカーメン王の頭像、6億円也(2019.07.05)
- 『インカ神殿』再び(2017.12.28)
- 清水沢の百庚申(2017.12.22)
コメント