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「野ざらしの鐘」と「分教所」跡

ここは長野県松原湖畔にある「松原諏方神社」。

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神社の歴史は古く、まだ藤原時代の939年(天慶2年)頃に当地の伴野氏が創建したと伝えられている。
ちなみにここは「諏訪」ではなく、「諏方」が正しいそうだ。


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その目的は境内右手にある、この「野ざらしの鐘」。
かの武田軍が佐久市から甲府へ梵鐘を運ぶ途中、千曲川と大月川の合流する手前辺りへ来た所で、全く動かなくなってしまった。
そこで信玄が「松原神社へ運ぼうか・・・」とつぶやいたとたん動き出したので、松原湖畔まで引き上げて寄進したそうな。


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その後、江戸時代から明治に至るまで、この鐘を屋根の下に置くと社殿や氏子が火事に遭う災難が続いたため、野外にさらして置かれ「野ざらしの鐘」の名前が付いたんだそうだ。
鐘は国の重要文化財に指定されているので保存のため屋根が掛けられていて、いま正確には「野ざらし」ではないが。


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ところで神社には駐車場がないので近くの空き地にクルマを止めさせてもらった。
それがここ。


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見ると、なにやら二宮金次郎らしき像や子どもの遊具も見られる。
空き地に二宮金次郎といえば学校だ。
これはもしや廃校?


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建てられていた石碑をみたところ、「旧北牧小学校五箇冬期分室 松原分教所」の跡であることがわかった。
1899年(明治22年)開校とあるから歴史がある。
気候が厳しいところなので、冬の間はここに分校を開いて学習したんだね。

1980年(昭和55年)に廃校。
今はない校舎の分を考えると校庭が狭く感じられるが、となりに冬季凍結する松原湖があるのでみんなアイススケートをしていたんだね。
松原湖からは多くのオリンピック・スケート選手を輩出しているそうだ。


・足柄上郡 高松分校はこちら
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