水産実験場跡のブロックアート
戦争遺跡が今も多く残る<館山は、半島の形で東京湾に突き出している。
その北岸に位置するのが富士見自衛隊基地。
その名の通り、三浦半島越しに富士山が見えたのだろう。
波打ち際まで降りられるようになっている。
その海岸べりから振り返ると、防風林の中に何かの建物がが佇んでいるのが見えた。
一見瀟洒(?)なコンクリート造り。
いったい何の建物だろう。
しかしすべての窓にガラスはなく、もう使われていないことがわかる。
場所柄、これも戦争遺跡の廃墟なのか?
荒れ果てた内部にはカラフルなアート壁画。
朽ちたコンクリートとスプレーアートの組み合わせは、なんか真鶴のここを連想させる。
柱のコンクリートは崩れ、すでに鉄筋が剥き出しになっている。
廊下の天井には採光口なのか、規則正しく並んだ四角い穴。
しかしここでもコンクリート片が剥がれ落ちている。
いま地震があったらタイヘンだ。
調べてみるとここは戦争関連の施設ではなく、かつて旧農商務省が建てた『高島水産実験場』の跡だとか。
1909年(明治42年)に建てられたもので、水産局が魚のふ化やプランクトンの研究をしていたそうだ。
しかし日本が国土防衛に力を入れ始めた1930年(昭和5年)、一帯に海軍の飛行場を始めとする軍事施設を建設するのに伴い、移転を余儀なくされたものという。
時代が時代だから、農商務省より海軍省のほうがずっと力が強かったんだろうね。
で、追い出された水産実験場は小湊町に移転し、その後この施設はこのように放棄されたままらしい。
その意味でいえば、戦争関連施設といえなくもない?
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コメント
ここは鷹の島と呼ばれるところですね。
昭和のはじめまでは島だったんですよ。
なるほどえ、農商務省の実験場が有ったのですか。
だから館山には農林水産省の出先機関が今でも
有るのでしょうかね。
投稿: いはち | 2017.03.14 15:12
いはちさん
「鷹の島」というんですか。
なるほど「たてやまフィールドミュージアム」のイラスト地図には水産講習所の記載がありました。
現在は東京水産大学になるんですね。
館山にはいろいろ興味深いものが多い。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2017.03.14 16:16