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怪我の功名だったかも

Seiden火災で焼失した沖縄県の世界遺産『首里城』だけど、その跡地に未公開の石組み地下遺構が見つかったそうだ。
今までは上に正殿が建っていたからわからなかったんだね。

これって、火災に遭って良かったということなんじゃないの。
だって建物が火災で消失しなければ、永遠に地下遺構には入れなかった筈。
そもそも世界遺産は建物のほうじゃなくて床下の遺構のほうだったからね。
燃えた正殿なんて、どうせ昭和になって再建されたものなんだし。
地下遺構のほうが、よほど大切だっていうこと。

こういうのを『怪我の功名』というんだな。
怪我は痛いけど。
全身打撲でも 前進だ!僕

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コメント

おはようございます

素朴な疑問なんですが・・・、ならばどうして再建される時に判らなかったんでしょう。基礎工事をするでしょうから、その時に見つからないのは変ですね。

いえ、管理人さんを責めているのではありませんよ、責めてないってば。

投稿: poohpapa | 2019.12.27 07:45

poohpapa さん
おはようございます。

前回の調査の時見つかっていたのですが、建物再建の際に塞がれてしまったらしいです。
それで遺構のあること自体が忘れ去られてしまったとのことです。
当時の文化財調査そのものが不完全だったのでしょう。

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2019.12.27 08:16

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