カンチレバー架橋の遺産「徳沢橋梁」

奥川森林鉄道から屋敷小学校へ行く途中、国道459号線は磐越西線のガードを潜る。

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うん?
やれに趣のある鉄橋ではないか。
クルマを止めて観察してみよう。


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銘板を見ると『阿賀野川徳沢橋梁』とある。
岩越線(現:磐越西線)の延伸工事に伴い、大正3年(1914年)に完成した全長193mの鉄道橋。
中央部の1支間がピン結合の単線下路式曲弦プラットトラス、残りの2支間が単線下路式プラットトラスで、名門のアメリカンブリッジ社製となっている。
ここと同じく、ペンシルバニアからはるばる海を渡って来たんだね。


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下を流れるのが阿賀野川。
この鉄橋により、列車は福島県から新潟県へと渡ることになる。

樹木が邪魔をしてうまく見通せないが、両岸のトラスから少しずつ橋を延伸し、橋の中央で双方を連結する方法で架設された、日本初のカンチレバー架橋ということだ。
良くわからないけど、なんか格好いい。

・中央線遺構・立場川橋はこちら
・中央線遺構・旧笹子川橋台はこちら

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【廃校】屋敷小学校(西会津町)

奥川小学校】跡から続く。

同じ西会津町でも屋敷は奥川よりも阿賀川を挟みずっと南方に位置する。
失礼だが、かなり不便な山の中まで来た。

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集落の一段高いところに屋敷小学校はあった。
門柱は残っているが、標板等はない。

平成2年(1990年)に群岡小学校に統合され、閉校となったことはわかっているが、肝心の開校時期は不明。
それでも門柱の裏には「屋敷分校建設記念」と、これはやけに鮮明に刻まれている。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


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校舎はそのまま残っているものの、残念ながら物置にしか使われておらず、だいぶ傷みが目立つ。
また遊具や定番の二宮金次郎像も見当たらなかった。
なお、写真には写っていないが、校庭には巨大な携帯電話のアンテナが立っている。


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校庭から一段下った隣接地には、教員宿舎だったろう廃屋同様になった平屋の建物が残されていた。

なお、統合された群岡小学校も平成24年(2012年)に西会津小学校統合されもうない。
ご多分に漏れず、ここ福島県でも学校数の減少は著しい。
去年と比べても6校減少。
手元に資料がある8年前と比べると実に73校も廃校になってしまった。

・足柄上郡の高松分校はこちら
・鴨川市の曾呂尋常小学校はこちら
・佐倉の志津小学校青菅分校はこちら
・杉木立に眠る、神田小学校宇連分校はこちら
・諏訪市の湖南小学校後山分校はこちら
・北杜市の江草小学校はこちら
・学童像のある川合尋常小学校はこちら
・金次郎だけが残った上平山小学校はこちら
・早川町の硯島小中学校室畑分校はこちら
・北杜市の和田分校はこちら
・小海町の松原分校はこちら

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【廃校】奥川小学校(西会津町)

ここは福島県西会津町。
探索した奥川森林鉄道探索の前進基地ということになる。

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山あいの小さな集落のその中心に、この広場のような空き地がある。
「西会津町立・奥川小学校」だ。
門柱は残されているが、学校としてはもう閉校となっている。


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平成2年(1990年)に西会津小学校に統合されたことはわかっているが、開校時期はいまのところ不明。
右奥に見える建物は『西会津町役場』の支所。
左奥が旧校舎で、左手前は新しく建てられた地域の保育所。


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校舎だった建物は、現在地域の住民のための『奥川みらい交流館』として使われている。
保育所も含め、ナイス・スペンディングだね。

屋敷小学校】跡に続く。

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【遺構】奥川森林鉄道跡を歩く(後編)

奥川森林鉄道跡【前編】から続く。

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古びたコンクリート製の橋脚には長円形の穴が明けられているのでそこにカメラを差し入れて撮影してみた。
そこからの景色はこんなアートな風景。


 クリックすると拡大します
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これは反対側の沢上部に登って撮影したもの。
川の流れが勢いよく白いのは、滝ではなく取水堰から絞って落とされたため。
左手の崖には降下に使ったロープが見える。
この画角がこの遺構の一番良い表情かも。


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上から見降ろすと、橋脚の上部には鉄製のスタッド(埋め込みボルト)が残されていた。
頼りなさそうなボルトだが、これで橋梁を固定していたんだろう。
その長さから推定すると、おそらく渡された橋梁は木製だったのではないか。
赤錆びた表情が、廃止されてからの長い年月を物語る。


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沢の下側に回って見上げるとこんな感じ。
当時は場違いだったろうコンクリート製の人工物も、色褪せた今は不思議に溶け込んでいる。
これまたいい風景だね。


 (マウスを置くと画像が切り替わります)
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柱の一本には『昭和弐年十月竣功と、ペンキで記されている。
すると完成からもう90年。
しっかりしているようだが、よく見ると橋脚のコンクリートにはかなりの傷みが見てとれる。
コンクリートの寿命も100年というから、これらもそのうち崩れ落ちてしまうのだろうか。
【鉄道自体の開通は大正元年(1912年)と記録されているので、記された竣功時期が事実であるならこの沢は当初木橋で渡っていたものと思われる】

静かに、そしていつまでも残って欲しい遺構だった。

・秩父・滝川森林鉄道跡はこちら
・小海・渋森林鉄道跡はこちら

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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【遺構】奥川森林鉄道跡を歩く(前編)

福島県西会津町の山中に残された『奥川森林鉄道』の跡を訪ねた。
奥川は、福島県に源流を持ち新潟県を流れ日本海に注ぐ阿賀川の支流。
その流れに沿って大正元年に開通したのが奥川森林鉄道。

 石塚森林鉄道 (C)「森林鉄道情景」
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明治から昭和に掛け、山奥で切り出した材木を運び出すために、各所にこうした森林鉄道が作られたんだね。


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すでに廃道となった国道459号の旧道から奥川の方を見降ろすと、何やら構築物が。
森林鉄道の橋台だ。
橋台とは鉄道の橋脚を渡すための土台部分。
間違いない、奥川森林鉄道があそこを走っていたのだ。


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降りられそうなところを見つけ、急な崖を下る。
すると現れた軌道跡。(石積みの右手上部)
崩落した部分も多いけれど、一部にはまだこれだけ良好な軌道跡が残されているんだね。
苔むした石垣は軌道の路盤を支えるもの。
山中にこれだけしっかり残っているのは感慨深い。


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でもちょっと進めばこの通り。
まるで通行止めを宣告するような枯れ木の芸術。
森林鉄道が廃止となったのは昭和35年(1960年)のことだから、誰も通らなくなってもう60年近くの時間が経過しているものな。
廃止になった森林鉄道跡ではたいていこうした倒木が邪魔をする。
そこを歩く困難さは、静岡のここや、埼玉のここなんかと同様だ。


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足元のはるか下、奥川の流れはこんな感じ。
北国のこと故、この時期は雪解け水で水量が多い。
冷たいだろうし、なるべく落ちたくはない。
写真右手の、樹々の色が違った辺りに目的のものがある。
もう少しだ。


 クリックすると拡大します
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東北電力の取水堰を見送り、さらに進むと再び路盤跡が荒れて来た。
すると突然目の前の路盤がなくなり、飛び込んで来たのがこの衝撃的な光景だ。
小さな沢を鉄道が越えるためなんだろう、苔むした見事な橋脚が並んでいる。
なんとカーブした4連だ、素晴らしい。

奥川森林鉄道跡【後編】に続く。

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レンガづくりの時計台(南会津)

福島県の会津若松を走っていたら、『レンガづくりの時計台』という標識が見えた。

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福島はレンガの生産で名高いところ。
そういえば以前、喜多方のレンガ蔵にも、行ったっけ。
寄り道してみよ。


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工場跡地の片隅のようなところにあった。
見たところ、何かに使われた土台の部分は旧いもので、その上にまた新しいレンガで小さな時計台を乗せたような感じ。
札幌の時計台とはだいぶスケールが違うな。
なお時計台の左手に見える石碑は、戊辰戦争で殉死した会津藩士を顕彰したものらしい。


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ちなみに内部の時計は『シチズン製』だけど、針(時刻)はストップ。
あとで調べると、大正時代に地元の青年団が建造したという歴史あるもの。
小さな集落の中ほどの小道沿いに建っているが、当時この道は会津若松から越後街道に通じる主要道路だったんだそうだ。
ガラス窓の奥には『美しい会津若松景観賞受賞建造物』のプレートが飾られていた。
それならちゃんと整備して、地域観光の目玉にすればいいのにね。

レンガ造りの宇都野火薬庫はこちら
レンガ造りの龍ヶ崎・西洋館はこちら
レンガ造りのカブトビール工場はこちら
レンガ造りの防備衛所はこちら
レンガ造りの喜多方・蔵はこちら
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ど迫力の『ロータリー除雪車』

これはなんだ?

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風車?のような大きな羽根がいくつも取り付けられている。
もしかして、風力発電?


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実はこれ、ロータリー除雪車というもの。
線路上の雪を集めて回転させた羽根で遠くに飛ばすんだね。
まるで黒い鯨(クジラ)が潮を噴き上げるような迫力があったそうだ。

子どもの頃に見た写真では覚えがあるが、実物は生まれて初めて見た。
場所は福島県の西会津町で、鳥追観音というところに保存されている。


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正式名を『キ621』。
説明によれば、昭和24年(1949年)に汽車製造大阪工場で製造された。
新潟県の長岡に配備され、昭和51年(1978年)に引退、ここに保存されたとのこと。
現存するのは全国的にも北海道とここだけという、貴重なものだ。


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運転席はあるが、ここで運転はできない。
なぜなら、ロータリー車の動力(蒸気機関)は除雪の羽根を廻すためのもので、前に進むためには後から動力車で押してもらわなければならないからだ。


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こちらはロータリーよりも馴染み深いラッセル車。
雪を線路横に押しやるんだね。
昭和14年(1939年)に秋田・国鉄土崎工場で作られたという単線用ラッセル雪カキ車で正式名が『き172』。

信越線や磐越西線で活躍したあと、こちらも昭和51年(1978年)に引退、ここに保存されている。
ここに来れば、ラッセルと暮ラセルよ。

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【遺構】石橋アーチの明治橋(長泉町)

ここは静岡県駿東郡の長泉町というところ。
三島市と沼津市の間にあって目立たないが、東レなど大きな工場が多い町。
その一角、新しい大きなマンションの前にちょっとそぐわない古めかしい石橋がある。

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下を流れているのはあの狩野川の支流である横瀬川のそのまた支流。
1896年(明治29年)に架けられた『谷口橋』というアーチ橋だ。
残念ながら周囲の状況が変わってしまい、渡っても今は行き止まりだ。


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橋の長さ3.9m、橋の幅が2.8m。
3条になっていて、要するに三つのアーチが一つに合わさっているような感じ。


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アーチ橋というのは普通テッペンの部分(赤矢印)に要石という大きめの石を嵌め込んで仕上げるものだけど、ここではそこに頼りない薄っぺらい石があるだけ。
もしかして計算違いだったのかな。
そんな、素人っぽいところが逆に親しみ深くていい。

・保田の汐止橋はこちら
・柿田川の眼鏡橋はこちら
・白浜の眼鏡橋はこちら

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【遺構】高松分校、みたび

神奈川県の山北町立・川村小学校・高松分校を再々訪した。

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前回の訪問から3年半。
まだ現役だった最初の訪問からはすでに10年近く経ったことになる。
1956年(昭和31年)に開校し、54年でその幕を閉じた。
まだ新しかった学校の表札も、すっかり貫禄が付いてしまった。


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それでも相変わらず校舎は健在。
木蓮(モクレン)だろうか、樹木の莟は今も元気なまま。


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標高は400mほどで、富士山とは比ぶべくもないけれど、こうしてみると結構高さが感じられる。
廃校になってからは、生徒は下界の本校まで朝夕2便ずつのスクールバスが通学手段。
それでも通うのはタイヘンなんだろうな。

・明治の香り 曾呂尋常小学校はこちら
・天国に一番近い小学校はこちら
・佐倉の志津小学校青菅分校はこちら
・杉木立に眠る、神田小学校宇連分校はこちら
・諏訪市の湖南小学校後山分校はこちら
・北杜市の江草小学校はこちら
・身延の五箇小中学校はこちら
・廃校になった高松分校はこちら
・学童像のある川合尋常小学校はこちら
・金次郎だけが残った上平山小学校はこちら
・春野町の川上小学校はこちら
・天竜の石神小学校はこちら
・早川町の硯島小中学校室畑分校はこちら
・上州・譲原小学校はこちら
・白井市の平塚分校はこちら
・設楽町の八橋小学校はこちら
・設楽町の中設楽小学校はこちら
・東栄町の粟代小学校はこちら
・東栄町の小林小学校はこちら
・東栄町の月小学校はこちら
・設楽町の神田小学校はこちら
・設楽町の名倉中学校はこちら
・設楽町の清水分校はこちら
・北杜市の和田分校はこちら
・小海町の松原分校はこちら

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【遺構】旧須走水力発電所跡(小山町)

ここは富士山の麓、静岡県小山町の須走(すばしり)というところ。
須走とは、富士山からの下山の時とき急傾斜の砂地を走り下りる様子から付けられた名前だ。

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その富士へと続く国道138号線の傍らに、『鎌倉往還』の石柱が立てられている。
鎌倉往還は鎌倉みちとも言われ、鎌倉時代に幕府の号令があったとき、武士が地方から都に駆けつけるため各地に設けられた、いわば軍用道路になる。
『いざ、鎌倉!』というヤツだ。
ここの場合には、甲斐源氏が鎌倉まで行き来するためのものだったんだろう。

ここが鎌倉みちの入口なのだが、いまバイパス工事が盛んに行われており、土手が削り取られてこんな有り様になっていた。
それでもこの石積みは昔のものだろう。
この先に須走水力発電所跡があるというので探索に来たのだ。


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それでもその鎌倉みちをずっと下っていくと、明らかに人の手が加えられた水路が現れた。
匂う。
この近くに発電所はあるのだろう。


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周辺を探るともう一本、別な水の流れが。
そしてこちらのほうが明らかに水量が多い。
さらに水路吐水路の間には、すっかり苔むした小屋のようなものがあった。


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素朴だが、ちゃんと両側にコンクリート製の門柱のようなものがあり、この小屋が只者でないことを物語る。
入口は開け放たれたまま。


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内部を覗くと、配管やバルブ、そして配電盤のようなものが据え付けられていた。
しかし肝心の外部の配管は接続されていない。
これはかつて操作室のようなものだったんだろうか。


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しかしそれ以上、周囲を探索しても発電所に不可欠な取水堰やタービン水車のようなものは見つからず、反対の土手まで上がってしまった。
するとそこには『発電所跡』と刻まれた石柱が。
やはりここが旧須走水力発電所の後だったことには間違いないようだ。
しかしそれにしても有力な痕跡は……。


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あえて見つけたものといえば、これ。
陶器で出来た絶縁碍子のようだが、やけにきれい。
もっと古ぼけたものを期待しているんだけどな。

帰ってから調べてもこの旧須走水力発電所についての資料は見当たらず、良くわからなかった。
どにたかご存じであればご教示を。

佐久間発電所の城塞こちら
青山変電所こちら
矢納発電所こちら
梨本発電所こちら
冷川発電所こちら

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