野鳥の森の狙撃口(館山)

1974年(昭和49年)にオープンした千葉県観光公社運営の『館山野鳥の森』は、その名の通り野鳥観察ができる自然公園。
館山市のほぼ中央に位置する標高150mほどの小山にある。

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散策路途中の展望台からは、眼下に平砂浦海岸の絶景。
条件が良ければ富士山や天城山・伊豆大島まで望むことができる。


Jyugan_02
登り始めてすぐにあるのがこの防空壕跡。
封鎖されていて中には入れない

この山には太平洋戦争当時、本土決戦に備えてたくさんの壕やタコツボ等などが残っていて、布良(めら)陣地と呼ばれたとのこと。


Jyugan_03
それにしてもこの坂道の急なこと。
写真からその凄さが伝わるかな。

すると、脇の山肌に何やら長方形に穿たれた穴が目に入った。
これは何だ?


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それは銃眼。
つまり、内部から銃を撃つための狙撃口だ。


Jyugan_04
さらに歩を進めると銃眼に繋がる壕の入口があったが、残念ながらこちらも封鎖されていて入れなかった。
開いてても、閉所恐怖症だからご免だけど。

旧海軍航空隊のあった館山には、この他にも試射場跡なんかもある。

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【廃村】上七尾集落(富士川町)

山梨県の旧増穂町(現富士川町)七尾集落は、戸川沿いの渓谷から急傾斜の林道を登っていく。
戸川は富士川の支流で、渓谷沿いには大きな釣場がある。

Kaminanao_01
これが『上七尾集落』の入口。
右手が集落ということになる。
標高約660m、川沿いの分岐からだけでも100m以上登ってきた。
『上』があるのだから名前が示すように『下七尾集落』というのも別地区にあるが、こちらはまだ現住だ。


Kaminanao_02
伝えられるところでは、天文元年(1532年)から続いた集落だとか。
でも昭和54年(1979年)を最後に全戸が離郷となった。
これは一番形を保っている1軒。(2軒しかないが)
それでも深い竹林に囲まれ、そのうち埋もれてしまいそうだ。


Kaminanao_03
こちらは土蔵代わりだろうか、1階部分がかなり痛んでしまっている。
遠からず、朽ちてしまうんだろう。


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集落の傍らにはまだそう古くない自動車用エンジンが置かれていた。
ニッサンのA型だから、サニーあたりのものかな。
ここには電気は通じているので何かの動力用らしい。


Kaminanao_05
傾斜を登ると、すっかり苔に被われた石。
でもこの形は明らかに人工のもの。
みたところ、墓石か石灯籠?


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さらに登ると小さな祠があった。
扉ももうなく、本尊らしきものも見当たらない。


Kaminanao_07
その傍らにはすっかり放置されたお墓が見つかった。
ほとんどの墓石はすでに倒れたままだ。
「南無阿弥陀仏……」

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

・君津市の追原廃村こちら
・奥多摩町の倉沢廃村こちら
・身延町の御弟子廃村こちら
・丹波山の高畑廃村こちら
・奥多摩町の峰廃村こちら
・甲州市の焼山廃村こちら
・千曲市の末地廃村こちら
・山梨の天久保廃村・前編こちら
・山梨の登尾廃村こちら
・山梨の柿草里廃村こちら
・秩父の茶平廃村こちら
・山梨の天久保廃村・後編こちら

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発見! 旧『第三笹子川橋梁』写真

前に探索記事を書いた、中央線の第三笹子川橋梁
まだ旧線が健在だった頃の、古い写真が残されているのを見付けた。

Sasago_old
こちらが当時の絵葉書に残された見事なトラスの『第三笹子川橋梁』。
同じ中央線の大呼戸橋梁を彷彿とさせる。。

Sasago_new
こちらはほぼ同じ位置からの現在の状況
見えるのがコンクリート製の新橋で、旧橋はその向こう側になるが、もちろん橋部分はすでに解体されて現存しない。
まだ残るアーチの初狩側橋台(左側)は今すっかり林の中に隠れているが、昔は甲州街道からも良く見えていたんだね。

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【廃村】天久保集落・後編(早川町)

天久保集落・前編より続く。

前回の探索では、学校の跡や役場だった空き地に移された二宮金次郎の碑などは確認できたものの、周辺に集落跡は確認できず、もうないものと考えていた。
ところがそれから3年。
ついに見付けた。
集落はもっと離れたところにあったのだ。

Sorakubo_11
前回探索した学校跡地からスタートする。
「行って来ま~す」


Sorakubo_12
前回とは逆、西の方向に向かう。
小さな枯れ沢を渡り対岸に登ると、放置されたお墓跡が見つかった。
ということは、この近くに集落があったに違いない。


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その奥にはつぶれかかった家屋が一軒。
もはや雑木に被われ、周囲の樹々に溶け込もうとしていた。


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少し傾斜を上り、上手に向かうと立派な(?)メインストリートが現れた。
土手にはしっかりした石垣が残されている。
でも、石の組み方はかなり荒い。
こんな野積みで、よく長い間持ち堪えたものだな。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


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ここにもまた雑木に被われ、潰れかかった家屋が一軒。
でも生活感はなく、これは物置か作業小屋だったようだ。


Sorakubo_17
上手には完全に崩壊してしまった家が屋根だけを残して佇んでいる。
雪の重みに耐えられなかったのかな。
周囲には水槽らしきものや、山の水を引いた水道の蛇口も残されていた。


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その隣には唯一一軒だけ本来の形を留めた二階建ての立派な家屋。
その規模から、ここの名主さんの家だったのかも。
もちろんすでに放置されたものだが、最も最近まで使われていたのではないだろうか。


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そして集落の入口には小さな祠。
長い間、村人の無事を見守ってきたんだろう。
ご苦労さまでした。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

・君津市の追原廃村こちら
・奥多摩町の倉沢廃村こちら
・身延町の御弟子廃村こちら
・丹波山の高畑廃村こちら
・奥多摩町の峰廃村こちら
・甲州市の焼山廃村こちら
・千曲市の末地廃村こちら
・山梨の天久保廃村・前編こちら
・山梨の登尾廃村こちら
・山梨の柿草里廃村こちら
・秩父の茶平廃村こちら

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廃道で『警笛 鳴らせ』!

ここは山梨県の南部、早川町の県道。
あの橋の下に隠れた旧県道の手前ということになる。


Keiteki_11
見える短いトンネルは『山吹隧道』、昭和49年(1974年)の竣功。
右手を流れる川は富士川の支流・早川。
トンネルには入らず、横の川沿いの部分に侵入する。


Keiteki_12
この部分は昔使われていた旧県道が廃道として残っているもの。
つまりもう40年以上前に放棄されたことになる。
川沿いの険しい道は崖崩れが頻発したため、新しくトンネルが掘られてこの部分は使われなくなったんだね。
それでも右の路肩にはひしゃげたガードレールが残されていて、ここがかつて道路だったことを訴えている。


Keiteki_13
広かったのは入口部分だけで、崩落のためかすぐに幅は狭まりこんな険しい様相になる。
川面までは30mほどもあるだろうか、足を滑らせたら無傷では済まないことだろう。


Keiteki_14
かつては舗装されたいた筈の路面だったところにはすっかり雑木が育ち、もう県道当時の面影はすっかり無くなっていた。

いや、あった。
端っこに何か人工物が立っているぞ。
(振り返って撮影)


Keiteki_15
そこにはなんと道路標識がまだ健気にも立ち続けているではないか。
『警笛 鳴らせ』だって。

この四角い形の『警笛 鳴らせ』はかなり古く、結構なレアもの。
昭和25年(1950年)に制定され、わずか13年の短い間だけ使われたという。
その後はKeiteki_00s丸形のものに変更されている。

残念ながら笛を持っていなかったので、口で「プップー」と鳴らして行く。
偽物だ?
『笛行く』だもの。

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【廃道】橋の下に隠れた旧県道(早川町)

リニア新幹線穴掘り探索の折り、早川町の県道下に残された廃道を探索した。

県道37号(南アルプス公園線)に懸かる古びた橋。


古びた銘板には『保2号桟道』とある。
昭和60年(1985年)の完成だそうだ。
実はその前に使われていた廃道がこの下に隠れていて、それを見に来たのだ。



橋の下を覗くとそこは雑草が生い茂っていて定かではない。
ここにほんとうに昔の県道なんかあるんだろうか。



目を凝らせば、見えるではないか白くて長いものが。
間違いない、ガードレールだ。
でもその先は大きな岩にぶつかっている。
ということは……
トンネルがある筈だ。



それを確かめるべく、橋の下に降りた。
実は、前にも来たことがあるのだが、その時はロープの準備がなく降りることができなかった。
今回はバッチリ準備万端だ。



そして廃道跡に降り立った。
って……
どこが道路なんだよ。(((‥ )( ‥)))


でもヤブを掻き分け、先に進んだら上から見えたガードレールが現れた。
こちら側から見れば、まだこんなに健在じゃないか。



それにしてもこの岩肌は迫力があるな。
しかし幾層にもなっていて崩れやすそうだ。
ちょっぴり気味が悪いけれど、すぐ近くには昔金鉱山があったというからこの層の隙間にも金鉱脈が隠れているのかも。
金隠しか。



しかも、岩の下には坑口?とむおぼしき穴。
残念ながら、穴はすぐに行き止まり。
ちなみにこれは道路に対して横方向なので、県道のトンネル跡ではあり得ない。



そしてやっと(!?)たどり着いた、これが旧県道のトンネル。
橋の上からでは角度的に確認しにくい位置関係になっている。
残念ながらコンクリートで完全封鎖。
せめて金網か柵にしてくれれば良かったのに。

僕のような輩の侵入を阻む目的もあるんだろうけど、もしこの穴を放置して崩壊してしまうと現道にも影響しかねないのでコンクリートで塞いだんだろうね。
「穴」がち、そういうことかも。
わずか15分ほどの探検、これにて完了。
ロープで降りるのは簡単だが、登り返すのは難儀する。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

・大崩海岸・石部トンネル跡はこちら
・熱海の超ヘアピントンネルはこちら
・大井川鐵道の極小トンネルはこちら
・伊豆・柏峠の廃トンネルはこちら
・ねずみの歩道橋はこちら
・市原の大臣橋はこちら

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【廃校】大須成小学校(身延町)

句碑の里から、文字通り人里まで降りてきた。

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そこにあるのがこの廃校。
校門の表札は薄れて読めないが、明治7年(1874年)に切石学校の分校として創立された大須成小学校の跡だ。


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いかにも学校らしい二階建ての木造校舎は昭和33年(1958年)に建てられたもの。
しかし、昭和61年(1986年)は閉校し、西島小学校に統合された。

ただ校庭は地域の運動場として、また校舎は不登校の生徒のための生活体験の場として現在も活かされているという。


Oosunari_03
探せば校門の脇に、ちゃんと『二宮尊徳像』が残されていた。
やっぱりここは学校だったんだ。
二宮クン、まさかポケモンGOやってないよね。

・足柄上郡 高松分校はこちら
・鴨川の曾呂尋常小学校はこちら
・牧丘の柳平分校はこちら
・佐倉の志津小学校青菅分校はこちら
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・諏訪市の湖南小学校後山分校はこちら
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・設楽町の神田小学校はこちら
・設楽町の名倉中学校はこちら
・設楽町の清水分校はこちら
・北杜市の和田分校はこちら
・小海町の松原分校はこちら
・上野原市の小和田分校はこちら
・上野原市の安寺沢分校はこちら
・身延町の帯金小学校はこちら

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【廃校】帯金小学校(身延町)

帯金小学校は山梨県身延町帯金地区にあった学校。
明治6年(1873年)に開校し、いくつかの統合を経たあと、昭和48年(1973年)に移転・廃校になったという。
ちょうど100年の歴史だったんだね。

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校庭はいまゲートボール場に使われているようだ。
道路際には小学校時代の名残り、門柱と二宮尊徳像がいまも残る。


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また傍らの草むらには生徒の作品だろう、希望を胸弾ませた男女の像が蔦に埋もれていた。
希望、見つかったかな?


・足柄上郡の高松分校はこちら
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・杉木立に眠る、神田小学校宇連分校はこちら
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【廃墟】香貫山のロッジガーデン

沼津の香貫山に登るたび、気になっていた所があった。

Garden_01
これ。
すっかり打ち破れた廃墟が、僕を手招きしている。
この建物はその名も『沼津ロッジガーデン』。
かつてはバーベキューハウスのお店として営業していたという。


Garden_02
建物は斜面に沿って点在していて、なかなか野趣豊かなものになっている。
閉鎖後、荒れ果てた建物はしばらく街の心霊スポットになっていたという。
しかしその後はホームレスが住み込んで他を寄せ付けない状況になっているとか。
事実、下からは入れる余地はなさそうだ。
そこで斜面上部からに作戦変更。


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いったん193mの頂上まで登っていつものように野良ニャンコとの交流。
人なつっこい茶トラに別れを告げ、山を下る。


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途中で車道から離れ、急な山道を下っていく。
葉の少ない季節だが、ここは笹藪が多いので見通しはまったく効かない。


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そして廃墟の裏側に到着。
2枚目の写真の、さらに上部ということになる。
自転車のリムと車輪とで作られた柵で、ヨソ者の侵入を頑なに拒んでいる。
勝手に棲みついている癖にねえ。


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しかし建物の多くはすでに崩壊。
実際に今も人が生活をしている様子は感じられなかった。
この先、静かに朽ち果てていくだけなんだろう。

・龍ヶ崎の赤い西洋館はこちら
・箱根の廃洋館はこちら
・真鶴のブロックアートはこちら

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【廃墟】消えた城山温泉(都留市)

ここは都留市の谷村町というところ。
あの谷村発電所からほど近く。
富士急の谷村駅から桂川へと下ってくると、周辺の緑には似合わないピンクの建物が目に入る。

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これがそれ。
結構大きな2階建てで、駐車場のスペースも十分にある。
これは何だ?


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近寄って見ると、玄関からしてもう荒れているのがわかる。
まだ残された看板を見てみると『城山温泉』とある。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

城山というのは、近くにある『勝山城』がある小山のこと。
1594年(文禄3年)に浅野長政の家老・浅野氏重が建設した城から命名されたんだろう。


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渓流に掛かる吊橋のたもとというロケーション。
ひっそりとした和風旅館で、長く地元の人に親しまれたという。
しかし今から10年ほど前に営業不振から廃業。
開け放たれたままの玄関から覗いてみると、内部ももうすっかり荒れ果てているようだ。


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昨年の11月に訪れた、これがその時の遠景。
中央の吊橋が『城南橋』という吊橋で、その向こう側。
見にくいが、黄色い矢印のところがこの『城山温泉』になる。


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こちらは今年4月に再訪した時のほぼ同じ所からの写真。
道路の改修工事も終了し、すっかりきれいになった。
桜の樹も今を盛りと咲き誇っている。
うん?
建物がない!!


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近づいてみると、かつての城山温泉はすっかり解体・整地されていて、跡形もなし。
前回なんとか間に合った訳だけれど、今回せっかく再訪してももうなくなっていたという訳。

実はこういうのは良くあること。
廃墟探索に残された時間は、実は限られている。
残された人生との戦いだ。
それを押し留める力は僕にはない。

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