【遺構】旧須走水力発電所跡(小山町)

ここは富士山の麓、静岡県小山町の須走(すばしり)というところ。
須走とは、富士山からの下山の時とき急傾斜の砂地を走り下りる様子から付けられた名前だ。

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その富士へと続く国道138号線の傍らに、『鎌倉往還』の石柱が立てられている。
鎌倉往還は鎌倉みちとも言われ、鎌倉時代に幕府の号令があったとき、武士が地方から都に駆けつけるため各地に設けられた、いわば軍用道路になる。
『いざ、鎌倉!』というヤツだ。
ここの場合には、甲斐源氏が鎌倉まで行き来するためのものだったんだろう。

ここが鎌倉みちの入口なのだが、いまバイパス工事が盛んに行われており、土手が削り取られてこんな有り様になっていた。
それでもこの石積みは昔のものだろう。
この先に須走水力発電所跡があるというので探索に来たのだ。


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それでもその鎌倉みちをずっと下っていくと、明らかに人の手が加えられた水路が現れた。
匂う。
この近くに発電所はあるのだろう。


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周辺を探るともう一本、別な水の流れが。
そしてこちらのほうが明らかに水量が多い。
さらに水路吐水路の間には、すっかり苔むした小屋のようなものがあった。


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素朴だが、ちゃんと両側にコンクリート製の門柱のようなものがあり、この小屋が只者でないことを物語る。
入口は開け放たれたまま。


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内部を覗くと、配管やバルブ、そして配電盤のようなものが据え付けられていた。
しかし肝心の外部の配管は接続されていない。
これはかつて操作室のようなものだったんだろうか。


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しかしそれ以上、周囲を探索しても発電所に不可欠な取水堰やタービン水車のようなものは見つからず、反対の土手まで上がってしまった。
するとそこには『発電所跡』と刻まれた石柱が。
やはりここが旧須走水力発電所の後だったことには間違いないようだ。
しかしそれにしても有力な痕跡は……。


Subashiri_07
あえて見つけたものといえば、これ。
陶器で出来た絶縁碍子のようだが、やけにきれい。
もっと古ぼけたものを期待しているんだけどな。

帰ってから調べてもこの旧須走水力発電所についての資料は見当たらず、良くわからなかった。
どにたかご存じであればご教示を。

佐久間発電所の城塞こちら
青山変電所こちら
矢納発電所こちら
梨本発電所こちら
冷川発電所こちら

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空っぽだった『塚原上村古墳』(南アルプス市)

南アルプス市には古墳が多い所だが、これもその一つ。
約1,400年前に造られた『塚原上村古墳』(つかはらわでむらこふん)
(塚があるから塚原の地名になった)

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全体的には、坪川と堰野川に挟まれた緩斜面に位置する。
なんということはない、住宅の裏山だ。

横穴式石室で、玄室の奥行きは4.5m、幅1.7m、高さ1.7m。
古くから開口していて、誰でも入り放題。


Tsukahara_02
という訳で、内部に石棺はおろか遺物などは何も発見されていない。
残念でした。

・千葉の長柄横穴群こちら
・愛知の岩屋口古墳こちら
・山梨の地蔵塚古墳こちら
・山梨の経塚古墳こちら

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富士火力演習場の『黒トーチカ』

ここは富士山の麓。

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広大な広場は、あの『富士火力演習』が行われる際には駐車場になる所ということだ。
(まだ一度も見学の抽選に当たったことがない)
で、この丸いものは……。


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これは、通称『黒トーチカ』
旧日本軍のもので、正式名を『陸軍富士畑岡射場弾着観的所』というらしい。


Tochka_03
戦後、米軍の射撃訓練目標にされたということで、一部が破壊されてしまっているのが惜しまれる。


Tochka_04
内部に入ってみる。
これは振り返って入口部分を撮影したもの。


Tochka_05
これが内部。
横に細長いスリットから観測したんだね。
コンクリートももうボロボロだ。
意外に広いが、独特の圧迫感があって息苦しい。
上空にヘリが飛ぶ音がするせいかも……。

・富津岬・軍事施設跡はこちら
・三芳村の桜花カタパルト跡はこちら
・大月の監聴音壕はこちら
・サイパン帰りの戦車はこちら
・かもめ団地の試射場はこちら
・三浦半島・諸磯崎洞窟陣地はこちら
・渥美半島福江観測所跡はこちら
・館山の狙撃口はこちら
・館山の防空砲台壕はこちら

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水産実験場跡のブロックアート

戦争遺跡が今も多く残る<館山は、半島の形で東京湾に突き出している。
その北岸に位置するのが富士見自衛隊基地。
その名の通り、三浦半島越しに富士山が見えたのだろう。

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波打ち際まで降りられるようになっている。
その海岸べりから振り返ると、防風林の中に何かの建物がが佇んでいるのが見えた。


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一見瀟洒(?)なコンクリート造り。
いったい何の建物だろう。
しかしすべての窓にガラスはなく、もう使われていないことがわかる。
場所柄、これも戦争遺跡の廃墟なのか?


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荒れ果てた内部にはカラフルなアート壁画。
朽ちたコンクリートとスプレーアートの組み合わせは、なんか真鶴のここを連想させる。


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柱のコンクリートは崩れ、すでに鉄筋が剥き出しになっている。


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廊下の天井には採光口なのか、規則正しく並んだ四角い穴。
しかしここでもコンクリート片が剥がれ落ちている。
いま地震があったらタイヘンだ。

調べてみるとここは戦争関連の施設ではなく、かつて旧農商務省が建てた『高島水産実験場』の跡だとか。
1909年(明治42年)に建てられたもので、水産局が魚のふ化やプランクトンの研究をしていたそうだ。

しかし日本が国土防衛に力を入れ始めた1930年(昭和5年)、一帯に海軍の飛行場を始めとする軍事施設を建設するのに伴い、移転を余儀なくされたものという。
時代が時代だから、農商務省より海軍省のほうがずっと力が強かったんだろうね。
で、追い出された水産実験場は小湊町に移転し、その後この施設はこのように放棄されたままらしい。
その意味でいえば、戦争関連施設といえなくもない?

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神余の弘法井戸

館山市にある『神余の弘法井戸』を訪ねた。
『神余の弘法井戸』は(かなまりのこうぼういど)と読む。
千葉県の有形民俗文化財に指定されている歴史ある場所。

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住宅地の奥にある集会所の脇を降りて行くと、そこはすっかり自然豊かな渓谷美。
右の急な階段の上には弘法大師の石像が祀られている。


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これがお話しの舞台になにった巴川と、その井戸。
どんな言い伝えなのか、というと……




その昔、土地の女性が一人の旅僧に小豆粥(あずきがゆ)をもてなした。

その粥に塩気がないのを不思議に感じて僧がたずねたところ、女性は貧しくて塩が買えないと答えた。

すると、僧は川に降りて祈祷し、手に持った錫杖を地面に突き刺し引き抜くと、たちまち塩辛い水が噴出した。

以来、そのおかげでここでは塩を手に入れることができるようになった。

というもの。
後日、僧侶が弘法大師とわかり、里人は感謝の意をこめて寺を建立し、この井戸を『弘法井戸』と称して大事に伝えているそうな。
実際にはこの川の中には天然ガスが吹き出していて、そこに塩分が含まれていたからなんだそうだ。
湧き出る水は今でも少し暖かい。


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ところで奥に見える橋が気になった。
旧い石造りのアーチ橋。
でも残念ながら近づくことができなかった。
いつか。

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【遺構】大網の防空砲台壕跡

館山市大網にある防空砲台壕の跡を訪ねた。
住宅からホンの数分入っただけで、何十年も時代から取り残されたような戦争遺跡がある。

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道は簡易舗装されているものの、行き止まりということもありあまりクルマが通ったような形跡はない。
完全な山里という雰囲気。
正面に見える岩の左手に一つ目の壕が隠れている。


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狭い切り通しを抜けると、壕の入口が現れた。
右の岩肌、よく見ると石を積み上げた人工のもののようだ。


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かなり分厚いコンクリート製。
1mほど入った部分に四角い杭穴のようなものが複数穿たれている。
何のための穴だろう。


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内部は奥行きも十分にあり、意外ときれい。
単なる防空壕ではなく、相当重要な武器を格納していたんだろう。


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外に出て、さらに道を登っていく。
すると二つ目の壕が。
ここの入口には何の障害物はなく、道からは丸見え。


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一つ目の壕よりかなり小さめのこちらには、旧い軽の廃車が押し込まれて朽ち果てていた。
車庫と言うよりは、ゴミ箱がわりか。


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こちらはさらに上部にある三つ目の壕を内部から見たもの。
幅があり、かなり大きなものを格納していたようだ。
横須賀の試射場ほどじゃないにせよ。


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この壕の側面には一部レンガが現れている。
物資のなかった戦時中のことだから、セメントを節約したのだろうか。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

・富津岬・軍事施設跡はこちら
・茂原の掩体壕はこちら
・州ノ崎の試射場跡はこちら
・府中の米軍通信基地跡はこちら
・丹沢に墜落した戦闘機のエンジンはこちら
・三芳村の桜花カタパルト跡はこちら
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・焼夷弾と戦った墓石はこちら
・野島公園の掩体壕はこちら
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・剣崎の探照灯庫跡はこちら
・剣崎の砲台跡はこちら
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・三浦半島・諸磯崎洞窟陣地はこちら
・追浜の海軍格納庫はこちら
・二川のトーチカ跡はこちら
・渥美半島福江観測所跡はこちら
・渥美半島陸軍気象観測塔跡はこちら
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・浜松剥き出しの防空壕はこちら
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・館山の 狙撃口はこちら
・富士の黒トーチカはこちら

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『霧笛が俺を呼んでいる』

『霧笛が俺を呼んでいる』はカート事故で夭逝した故赤木圭一郎の遺作。
同じ二枚目(!)として、呼ばれた霧笛を探索してきた。

房総半島の突端に位置する野島崎には半島最南端の表示 Sainantan_s がある筈。
それを目指して良く整備された遊歩道を下っていくと……。

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高い岩の上に置かれた白いベンチ。
「絶景 朝日と夕陽の見える岬」という触れ込みの観光スポットだ。
でも、近づいてみるとカップルが独占。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
やーめた。


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灯台はこっちだもん。
さすがに半島最南端だけあって、初点は1869年(明治2年)だって。
由緒あるんだな。
関東大震災で岬は大きく隆起したため倒壊、現在の灯台は1925年(大正14年)に再建されたものだそうだ。


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でもほんとうの目的はこの灯台でもなく、隣に建つこちらの古ぼけた建物。
これは何だ?
(アンテナは後に取り付けられた海上保安庁・海洋短波レーダーのもの)


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しかし冬なのにヤブがスゴイ。
入口に回ってみると、すっかり朽ちてきた、しかし貫禄のある木製門柱が2本。
実はここかつて航海の安全を図る『霧笛舎』として使われたもの。
屋根の上、わずかに顔をみせているのが当時の霧笛ホーン。
50秒間隔で5秒間、自動的に吹鳴する構造になっていたそうだ。


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建物の入口は完全に封鎖されているが、窓ガラスが破れているのでそこから中を覗いてみる。
何やらさまざまな機械がまだ残されているのがわかる。
霧笛は圧搾空気によるエアサイレン方式だったとのことなのでここでディーゼル機関によってコンプレッサを作動されていたのだろう。


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こちらの大きな緑色のものは貯気缶(エアタンク)だろうか。
アールデコ調なのか、アーチ状になった白い柱はお洒落だね。
昔の建物はみんななかなか粋だった。
こんなとこでもいい仕事したね。
ところで霧笛はえげつない音量で、近所メーワクだったそうな。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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野鳥の森の狙撃口(館山)

1974年(昭和49年)にオープンした千葉県観光公社運営の『館山野鳥の森』は、その名の通り野鳥観察ができる自然公園。
館山市のほぼ中央に位置する標高150mほどの小山にある。

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散策路途中の展望台からは、眼下に平砂浦海岸の絶景。
条件が良ければ富士山や天城山・伊豆大島まで望むことができる。


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登り始めてすぐにあるのがこの防空壕跡。
封鎖されていて中には入れない

この山には太平洋戦争当時、本土決戦に備えてたくさんの壕やタコツボ等などが残っていて、布良(めら)陣地と呼ばれたとのこと。


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それにしてもこの坂道の急なこと。
写真からその凄さが伝わるかな。

すると、脇の山肌に何やら長方形に穿たれた穴が目に入った。
これは何だ?


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それは銃眼。
つまり、内部から銃を撃つための狙撃口だ。


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さらに歩を進めると銃眼に繋がる壕の入口があったが、残念ながらこちらも封鎖されていて入れなかった。
開いてても、閉所恐怖症だからご免だけど。

旧海軍航空隊のあった館山には、この他にも試射場跡なんかもある。

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【廃村】上七尾集落(富士川町)

山梨県の旧増穂町(現富士川町)七尾集落は、戸川沿いの渓谷から急傾斜の林道を登っていく。
戸川は富士川の支流で、渓谷沿いには大きな釣場がある。

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これが『上七尾集落』の入口。
右手が集落ということになる。
標高約660m、川沿いの分岐からだけでも100m以上登ってきた。
『上』があるのだから名前が示すように『下七尾集落』というのも別地区にあるが、こちらはまだ現住だ。


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伝えられるところでは、天文元年(1532年)から続いた集落だとか。
でも昭和54年(1979年)を最後に全戸が離郷となった。
これは一番形を保っている1軒。(2軒しかないが)
それでも深い竹林に囲まれ、そのうち埋もれてしまいそうだ。


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こちらは土蔵代わりだろうか、1階部分がかなり痛んでしまっている。
遠からず、朽ちてしまうんだろう。


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集落の傍らにはまだそう古くない自動車用エンジンが置かれていた。
ニッサンのA型だから、サニーあたりのものかな。
ここには電気は通じているので何かの動力用らしい。


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傾斜を登ると、すっかり苔に被われた石。
でもこの形は明らかに人工のもの。
みたところ、墓石か石灯籠?


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さらに登ると小さな祠があった。
扉ももうなく、本尊らしきものも見当たらない。


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その傍らにはすっかり放置されたお墓が見つかった。
ほとんどの墓石はすでに倒れたままだ。
「南無阿弥陀仏……」

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

・君津市の追原廃村こちら
・奥多摩町の倉沢廃村こちら
・身延町の御弟子廃村こちら
・丹波山の高畑廃村こちら
・奥多摩町の峰廃村こちら
・甲州市の焼山廃村こちら
・千曲市の末地廃村こちら
・山梨の天久保廃村・前編こちら
・山梨の登尾廃村こちら
・山梨の柿草里廃村こちら
・秩父の茶平廃村こちら
・山梨の天久保廃村・後編こちら

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発見! 旧『第三笹子川橋梁』写真

前に探索記事を書いた、中央線の第三笹子川橋梁
まだ旧線が健在だった頃の、古い写真が残されているのを見付けた。

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こちらが当時の絵葉書に残された見事なトラスの『第三笹子川橋梁』。
同じ中央線の大呼戸橋梁を彷彿とさせる。。

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こちらはほぼ同じ位置からの現在の状況
見えるのがコンクリート製の新橋で、旧橋はその向こう側になるが、もちろん橋部分はすでに解体されて現存しない。
まだ残るアーチの初狩側橋台(左側)は今すっかり林の中に隠れているが、昔は甲州街道からも良く見えていたんだね。

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