【景勝】銚子の口(西会津町)

阿賀川の名所に『銚子の口』がある。

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銚子ノ口とは、文字通り酒を入れるお銚子の形から名前が付けられたもの。
波もなくまるで眠っているように静か流れてきた水量豊かな川の流れが、この峡谷で急に狭められるため激流になるんだね。


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川の流れがゆるぎ、糸を捌くかのように真っ白に翻っている。
水運が主流だった江戸時代、大坂廻米舟運では最大の難所と呼ばれ、人々を苦しめていたそうだ。


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川幅が狭くなっている形が、お銚子のくびれたところに似ているということらしい。
でもそれなら『銚子ノ口』じゃなくて『銚子のくびれ』なんじゃないのかな。
と、憎まれ口をきくお調子者

いずれにしても……
「姐さん、もう一本~☆」

・久慈川の難所・鰐ケ淵はこちら
・富士川の難所・釜口峡はこちら

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【廃校】屋敷小学校(西会津町)

奥川小学校】跡から続く。

同じ西会津町でも屋敷は奥川よりも阿賀川を挟みずっと南方に位置する。
失礼だが、かなり不便な山の中まで来た。

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集落の一段高いところに屋敷小学校はあった。
門柱は残っているが、標板等はない。

平成2年(1990年)に群岡小学校に統合され、閉校となったことはわかっているが、肝心の開校時期は不明。
それでも門柱の裏には「屋敷分校建設記念」と、これはやけに鮮明に刻まれている。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


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校舎はそのまま残っているものの、残念ながら物置にしか使われておらず、だいぶ傷みが目立つ。
また遊具や定番の二宮金次郎像も見当たらなかった。
なお、写真には写っていないが、校庭には巨大な携帯電話のアンテナが立っている。


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校庭から一段下った隣接地には、教員宿舎だったろう廃屋同様になった平屋の建物が残されていた。

なお、統合された群岡小学校も平成24年(2012年)に西会津小学校統合されもうない。
ご多分に漏れず、ここ福島県でも学校数の減少は著しい。
去年と比べても6校減少。
手元に資料がある8年前と比べると実に73校も廃校になってしまった。

・足柄上郡の高松分校はこちら
・鴨川市の曾呂尋常小学校はこちら
・佐倉の志津小学校青菅分校はこちら
・杉木立に眠る、神田小学校宇連分校はこちら
・諏訪市の湖南小学校後山分校はこちら
・北杜市の江草小学校はこちら
・学童像のある川合尋常小学校はこちら
・金次郎だけが残った上平山小学校はこちら
・早川町の硯島小中学校室畑分校はこちら
・北杜市の和田分校はこちら
・小海町の松原分校はこちら

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【廃校】奥川小学校(西会津町)

ここは福島県西会津町。
探索した奥川森林鉄道探索の前進基地ということになる。

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山あいの小さな集落のその中心に、この広場のような空き地がある。
「西会津町立・奥川小学校」だ。
門柱は残されているが、学校としてはもう閉校となっている。


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平成2年(1990年)に西会津小学校に統合されたことはわかっているが、開校時期はいまのところ不明。
右奥に見える建物は『西会津町役場』の支所。
左奥が旧校舎で、左手前は新しく建てられた地域の保育所。


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校舎だった建物は、現在地域の住民のための『奥川みらい交流館』として使われている。
保育所も含め、ナイス・スペンディングだね。

屋敷小学校】跡に続く。

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【遺構】奥川森林鉄道跡を歩く(後編)

奥川森林鉄道跡【前編】から続く。

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古びたコンクリート製の橋脚には長円形の穴が明けられているのでそこにカメラを差し入れて撮影してみた。
そこからの景色はこんなアートな風景。


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これは反対側の沢上部に登って撮影したもの。
川の流れが勢いよく白いのは、滝ではなく取水堰から絞って落とされたため。
左手の崖には降下に使ったロープが見える。
この画角がこの遺構の一番良い表情かも。


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上から見降ろすと、橋脚の上部には鉄製のスタッド(埋め込みボルト)が残されていた。
頼りなさそうなボルトだが、これで橋梁を固定していたんだろう。
その長さから推定すると、おそらく渡された橋梁は木製だったのではないか。
赤錆びた表情が、廃止されてからの長い年月を物語る。


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沢の下側に回って見上げるとこんな感じ。
当時は場違いだったろうコンクリート製の人工物も、色褪せた今は不思議に溶け込んでいる。
これまたいい風景だね。


 (マウスを置くと画像が切り替わります)
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柱の一本には『昭和弐年十月竣功と、ペンキで記されている。
すると完成からもう90年。
しっかりしているようだが、よく見ると橋脚のコンクリートにはかなりの傷みが見てとれる。
コンクリートの寿命も100年というから、これらもそのうち崩れ落ちてしまうのだろうか。
【鉄道自体の開通は大正元年(1912年)と記録されているので、記された竣功時期が事実であるならこの沢は当初木橋で渡っていたものと思われる】

静かに、そしていつまでも残って欲しい遺構だった。

・秩父・滝川森林鉄道跡はこちら
・小海・渋森林鉄道跡はこちら

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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【遺構】奥川森林鉄道跡を歩く(前編)

福島県西会津町の山中に残された『奥川森林鉄道』の跡を訪ねた。
奥川は、福島県に源流を持ち新潟県を流れ日本海に注ぐ阿賀川の支流。
その流れに沿って大正元年に開通したのが奥川森林鉄道。

 石塚森林鉄道 (C)「森林鉄道情景」
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明治から昭和に掛け、山奥で切り出した材木を運び出すために、各所にこうした森林鉄道が作られたんだね。


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すでに廃道となった国道459号の旧道から奥川の方を見降ろすと、何やら構築物が。
森林鉄道の橋台だ。
橋台とは鉄道の橋脚を渡すための土台部分。
間違いない、奥川森林鉄道があそこを走っていたのだ。


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降りられそうなところを見つけ、急な崖を下る。
すると現れた軌道跡。(石積みの右手上部)
崩落した部分も多いけれど、一部にはまだこれだけ良好な軌道跡が残されているんだね。
苔むした石垣は軌道の路盤を支えるもの。
山中にこれだけしっかり残っているのは感慨深い。


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でもちょっと進めばこの通り。
まるで通行止めを宣告するような枯れ木の芸術。
森林鉄道が廃止となったのは昭和35年(1960年)のことだから、誰も通らなくなってもう60年近くの時間が経過しているものな。
廃止になった森林鉄道跡ではたいていこうした倒木が邪魔をする。
そこを歩く困難さは、静岡のここや、埼玉のここなんかと同様だ。


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足元のはるか下、奥川の流れはこんな感じ。
北国のこと故、この時期は雪解け水で水量が多い。
冷たいだろうし、なるべく落ちたくはない。
写真右手の、樹々の色が違った辺りに目的のものがある。
もう少しだ。


 クリックすると拡大します
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東北電力の取水堰を見送り、さらに進むと再び路盤跡が荒れて来た。
すると突然目の前の路盤がなくなり、飛び込んで来たのがこの衝撃的な光景だ。
小さな沢を鉄道が越えるためなんだろう、苔むした見事な橋脚が並んでいる。
なんとカーブした4連だ、素晴らしい。

奥川森林鉄道跡【後編】に続く。

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レンガづくりの時計台(南会津)

福島県の会津若松を走っていたら、『レンガづくりの時計台』という標識が見えた。

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福島はレンガの生産で名高いところ。
そういえば以前、喜多方のレンガ蔵にも、行ったっけ。
寄り道してみよ。


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工場跡地の片隅のようなところにあった。
見たところ、何かに使われた土台の部分は旧いもので、その上にまた新しいレンガで小さな時計台を乗せたような感じ。
札幌の時計台とはだいぶスケールが違うな。
なお時計台の左手に見える石碑は、戊辰戦争で殉死した会津藩士を顕彰したものらしい。


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ちなみに内部の時計は『シチズン製』だけど、針(時刻)はストップ。
あとで調べると、大正時代に地元の青年団が建造したという歴史あるもの。
小さな集落の中ほどの小道沿いに建っているが、当時この道は会津若松から越後街道に通じる主要道路だったんだそうだ。
ガラス窓の奥には『美しい会津若松景観賞受賞建造物』のプレートが飾られていた。
それならちゃんと整備して、地域観光の目玉にすればいいのにね。

レンガ造りの宇都野火薬庫はこちら
レンガ造りの龍ヶ崎・西洋館はこちら
レンガ造りのカブトビール工場はこちら
レンガ造りの防備衛所はこちら
レンガ造りの喜多方・蔵はこちら
レンガ造りのキングスクロス駅はこちら

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180度ターンのスノーシェルター(西会津町)

「シェルター」とは、避難所の意味。
最近は「核シェルター」なんて物騒なものを良く聞くね。
「核シェルター」なら核から身を守るものだけど、「スノーシェルター」は雪から道路や施設等を保護するため作られた覆いのことだ。
雪の多い地域ではよく見られる、片側が開いた半トンネルのようなものが多い。

しかし西会津を走っていたら、驚きのスノーシェルターに遭遇した。

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入口はまあ、それほど違和感はない。
ゴルフ場なんかでも、こんなネットみたいの見掛けるよね。

正式名を『縄木山スノーシェルター』
昭和57年(1982年)の完成で全長100mだそうだ。


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内部に入ると、右カーブ。
それも、いつまでも続く右カーブ。
どんだけ~☆


Shelter_03
極め付けは、この中間部分での景色。
ほら、まるでお洒落な芸術作品のよう。
右の入口は見えているけれど、左の方はまだ見えない。
出口はまだ先だもの。
180度の筈なのに……。

高低差はないけれど、まるで熱海のこのトンネルを連想させる。

現場を歩いて撮影した退屈な動画はこちら

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ど迫力の『ロータリー除雪車』

これはなんだ?

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風車?のような大きな羽根がいくつも取り付けられている。
もしかして、風力発電?


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実はこれ、ロータリー除雪車というもの。
線路上の雪を集めて回転させた羽根で遠くに飛ばすんだね。
まるで黒い鯨(クジラ)が潮を噴き上げるような迫力があったそうだ。

子どもの頃に見た写真では覚えがあるが、実物は生まれて初めて見た。
場所は福島県の西会津町で、鳥追観音というところに保存されている。


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正式名を『キ621』。
説明によれば、昭和24年(1949年)に汽車製造大阪工場で製造された。
新潟県の長岡に配備され、昭和51年(1978年)に引退、ここに保存されたとのこと。
現存するのは全国的にも北海道とここだけという、貴重なものだ。


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運転席はあるが、ここで運転はできない。
なぜなら、ロータリー車の動力(蒸気機関)は除雪の羽根を廻すためのもので、前に進むためには後から動力車で押してもらわなければならないからだ。


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こちらはロータリーよりも馴染み深いラッセル車。
雪を線路横に押しやるんだね。
昭和14年(1939年)に秋田・国鉄土崎工場で作られたという単線用ラッセル雪カキ車で正式名が『き172』。

信越線や磐越西線で活躍したあと、こちらも昭和51年(1978年)に引退、ここに保存されている。
ここに来れば、ラッセルと暮ラセルよ。

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すごい強風だったね

多少の黄砂は覚悟していたけれど、昨日はすごい強風に見舞われたね。
福島の会津坂下(あいづばんげ)では強風に煽られて山火事が発生したそうだけど、まさにその時刻にその会津坂下町を走ってた。
そりゃもう、すごい風。
畑のビニールハウスが飛んで、視界を妨げる有り様だもの。
怖かった。

で、昨日の探索の主眼は西会津のこれでした。
近く、記事をまとめる予定。

Okukawa_00

 拡大します


【追記】
こちらに掲載しました。

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黄砂の対策はこうさ

Kousa黄砂がまたやって来たね。

黄砂は春の風物詩。
今回は九州や日本海側ばかりでなく、東日本にもやって来るらしい。

視程が10キロを切ると車や洗濯物の汚れが目立ちだし、5キロ未満で空の便や高速道路など交通機関に影響が出るんだそうだ。

黄砂は中国大陸内陸部にある砂漠の砂が巻き上げられたもので、偏西風に乗ってはるか日本までやって来るんだね。
偏西風に乗せるというのは、昔日本軍がアメリカに風船爆弾を送った時に使ったものだけど、まさかこれ中国人民軍の仕業じゃないよね。

で、もしも洗濯物や衣服に黄砂が付いたら、サンドはたくといいんだって。

だって、相手はだもの。

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