『いしろうざき』って、どこよ

Aegis昨日朝、伊豆沖で米海軍のイージス艦とフィリピンのコンテナ船が衝突する事故があったね。
朝5時のNHKニュース観ていたら、男性アナが「たった今入ったニュース」として『静岡県下田市の石廊崎沖で……』と報じた。
でも、『いろうざき』を『いしろうざき』だって。
しかも何度も繰り返したのに、結局訂正もなし。

それに、石廊崎は下田市じゃなくて、南伊豆町だもんね。
二重に間違えてる。
これはアナウンサーの読み間違いじゃなくて、原稿そのものの誤りだろうに。
NHKはどうなってんだ。
アナウンサーもしっかりしろ。

僕は桑子真帆さんがいーぞ。
(個人的見解です)

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座りにくいテーブル

あなたは座る勇気、ありますか?

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こんなのも、あったっけ。

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『チバニアン』盗られた

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千葉県・養老川沿いにある地球の地磁気逆転の名前『チバニアン』が、研究グループとは関係のない人に商標登録されてしまったそうだ。
商品区分は貴金属やキーホルダー、時計、印刷物、おもちゃ……など。
地層に関係ないけど、儲けるつもりだな。

今年夏にはこれが国際学会で認められるか、という地質学上日本初の快挙の筈だったけど、とんだところで味噌を付けちゃった。

国立極地研究所によれば、「登録申請された2016年8月にはまだ有名じゃなかった」と、釈明。
ウソだよ、結構知られていたぞ。
この僕が現地に行ったのだって、それより1年も前のことだもの。

ただ当時は『チバシアン』で申請するか『チバニアン』で申請するか決まっていなかったようだけど。
なんでも英語系の造語と、ラテン語系の造語との違いらしい。

学者の先生は浮世離れしているから、こういうところでずる賢いヤツに足元救われちゃうんだな。
ビックリしてまた磁場が逆転しちゃうかも (゚_゚)

地層が落ちそう!

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今度は尾盛駅探訪記事にうれしい悲鳴

以前書いた古い記事へのアクセスが突然集中して驚かされることがある。
前回はこれだった。
5年ほど前の、持倉鉱山探索の記事。
この時はテレビ朝日の『ナニコレ珍百景』で採り上げられたからだったけど、この番組はもう終了。

で、昨夜はフジテレビの『世界の何だコレ!?ミステリー』だった。
この番組で大井川鐵道の秘境駅『尾盛駅』への探訪が放映されたんだね。
その影響で昨夜突然この記事炎上

僕が熊除けスプレー片手に行ったのはもう7年近く前のこと。
なつかしい。
何にせよ、アクセス数増大はうれしいぞ。

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熊さんのトイレじゃない、これがプラットフォーム。

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【廃橋】旧反場橋(西会津町)

国道49号は昔、越後街道と呼ばれた道。
難所・藤峠はいま藤トンネルで難なく抜ける。
すると昔「別茶屋(わかれちゃや)」があった道の分岐点に旧い橋脚が残されているのが見える。

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ここで不動川支流の切石川を渡るのだが、現在は暗渠になっていて水はない。
しかし旧道はこの切石川を橋で越えていた。


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そのコンクリート製の橋脚が2本、蔦に絡まれて今も残ってるのだ。
竣功は大正5年(1916年)と言われているが、当時は木橋だったらしい。
すでに100年を経過しているとあって、橋脚は風化が激しい。

・伊豆・廃ループ橋跡はこちら
・旧稲又川橋跡はこちら
・君津・廃橋跡はこちら
・崩壊橋梁・祭畤大橋はこちら
・破壊橋梁・旧柴崎橋はこちら
・秩父の廃吊橋はこちら

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カンチレバー架橋の遺産「徳沢橋梁」

奥川森林鉄道から屋敷小学校へ行く途中、国道459号線は磐越西線のガードを潜る。

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うん?
やれに趣のある鉄橋ではないか。
クルマを止めて観察してみよう。


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銘板を見ると『阿賀野川徳沢橋梁』とある。
岩越線(現:磐越西線)の延伸工事に伴い、大正3年(1914年)に完成した全長193mの鉄道橋。
中央部の1支間がピン結合の単線下路式曲弦プラットトラス、残りの2支間が単線下路式プラットトラスで、名門のアメリカンブリッジ社製となっている。
ここと同じく、ペンシルバニアからはるばる海を渡って来たんだね。


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下を流れるのが阿賀野川。
この鉄橋により、列車は福島県から新潟県へと渡ることになる。

樹木が邪魔をしてうまく見通せないが、両岸のトラスから少しずつ橋を延伸し、橋の中央で双方を連結する方法で架設された、日本初のカンチレバー架橋ということだ。
良くわからないけど、なんか格好いい。

・中央線遺構・立場川橋はこちら
・中央線遺構・旧笹子川橋台はこちら

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【景勝】銚子の口(西会津町)

阿賀川の名所に『銚子の口』がある。

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銚子ノ口とは、文字通り酒を入れるお銚子の形から名前が付けられたもの。
波もなくまるで眠っているように静か流れてきた水量豊かな川の流れが、この峡谷で急に狭められるため激流になるんだね。


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川の流れがゆるぎ、糸を捌くかのように真っ白に翻っている。
水運が主流だった江戸時代、大坂廻米舟運では最大の難所と呼ばれ、人々を苦しめていたそうだ。


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川幅が狭くなっている形が、お銚子のくびれたところに似ているということらしい。
でもそれなら『銚子ノ口』じゃなくて『銚子のくびれ』なんじゃないのかな。
と、憎まれ口をきくお調子者

いずれにしても……
「姐さん、もう一本~☆」

・久慈川の難所・鰐ケ淵はこちら
・富士川の難所・釜口峡はこちら

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【廃校】屋敷小学校(西会津町)

奥川小学校】跡から続く。

同じ西会津町でも屋敷は奥川よりも阿賀川を挟みずっと南方に位置する。
失礼だが、かなり不便な山の中まで来た。

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集落の一段高いところに屋敷小学校はあった。
門柱は残っているが、標板等はない。

平成2年(1990年)に群岡小学校に統合され、閉校となったことはわかっているが、肝心の開校時期は不明。
それでも門柱の裏には「屋敷分校建設記念」と、これはやけに鮮明に刻まれている。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


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校舎はそのまま残っているものの、残念ながら物置にしか使われておらず、だいぶ傷みが目立つ。
また遊具や定番の二宮金次郎像も見当たらなかった。
なお、写真には写っていないが、校庭には巨大な携帯電話のアンテナが立っている。


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校庭から一段下った隣接地には、教員宿舎だったろう廃屋同様になった平屋の建物が残されていた。

なお、統合された群岡小学校も平成24年(2012年)に西会津小学校統合されもうない。
ご多分に漏れず、ここ福島県でも学校数の減少は著しい。
去年と比べても6校減少。
手元に資料がある8年前と比べると実に73校も廃校になってしまった。

・足柄上郡の高松分校はこちら
・鴨川市の曾呂尋常小学校はこちら
・佐倉の志津小学校青菅分校はこちら
・杉木立に眠る、神田小学校宇連分校はこちら
・諏訪市の湖南小学校後山分校はこちら
・北杜市の江草小学校はこちら
・学童像のある川合尋常小学校はこちら
・金次郎だけが残った上平山小学校はこちら
・早川町の硯島小中学校室畑分校はこちら
・北杜市の和田分校はこちら
・小海町の松原分校はこちら

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【廃校】奥川小学校(西会津町)

ここは福島県西会津町。
探索した奥川森林鉄道探索の前進基地ということになる。

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山あいの小さな集落のその中心に、この広場のような空き地がある。
「西会津町立・奥川小学校」だ。
門柱は残されているが、学校としてはもう閉校となっている。


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平成2年(1990年)に西会津小学校に統合されたことはわかっているが、開校時期はいまのところ不明。
右奥に見える建物は『西会津町役場』の支所。
左奥が旧校舎で、左手前は新しく建てられた地域の保育所。


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校舎だった建物は、現在地域の住民のための『奥川みらい交流館』として使われている。
保育所も含め、ナイス・スペンディングだね。

屋敷小学校】跡に続く。

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【遺構】奥川森林鉄道跡を歩く(後編)

奥川森林鉄道跡【前編】から続く。

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古びたコンクリート製の橋脚には長円形の穴が明けられているのでそこにカメラを差し入れて撮影してみた。
そこからの景色はこんなアートな風景。


 クリックすると拡大します
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これは反対側の沢上部に登って撮影したもの。
川の流れが勢いよく白いのは、滝ではなく取水堰から絞って落とされたため。
左手の崖には降下に使ったロープが見える。
この画角がこの遺構の一番良い表情かも。


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上から見降ろすと、橋脚の上部には鉄製のスタッド(埋め込みボルト)が残されていた。
頼りなさそうなボルトだが、これで橋梁を固定していたんだろう。
その長さから推定すると、おそらく渡された橋梁は木製だったのではないか。
赤錆びた表情が、廃止されてからの長い年月を物語る。


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沢の下側に回って見上げるとこんな感じ。
当時は場違いだったろうコンクリート製の人工物も、色褪せた今は不思議に溶け込んでいる。
これまたいい風景だね。


 (マウスを置くと画像が切り替わります)
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柱の一本には『昭和弐年十月竣功と、ペンキで記されている。
すると完成からもう90年。
しっかりしているようだが、よく見ると橋脚のコンクリートにはかなりの傷みが見てとれる。
コンクリートの寿命も100年というから、これらもそのうち崩れ落ちてしまうのだろうか。
【鉄道自体の開通は大正元年(1912年)と記録されているので、記された竣功時期が事実であるならこの沢は当初木橋で渡っていたものと思われる】

静かに、そしていつまでも残って欲しい遺構だった。

・秩父・滝川森林鉄道跡はこちら
・小海・渋森林鉄道跡はこちら

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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