南伊豆の山中にあったという『沢田鉱山』を探していた。
鉱山といっても正確には『沢田石丁場』、つまり沢田石を切り出した石丁場の跡だ。
沢田という地名は今もあるので、地形図からそれらしき道を辿ってすでに複数回探ってみた。
最奥の人家を過ぎ、さらに登る。
この辺りはまだ簡易舗装がされているが、落ち葉が積もっていて最近クルマが入った形跡はない。
クルマも通れない筈の道になったのに、さらに登っていくと道端にこんなポンコツ車。
以前はこんなとこまでクルマで来れたのか。
道はやがて踏み跡も定かでない杣道(そまみち)に。
するとお地蔵さんのような石仏が立てられているのに気づいた。
人の営みの気配!!
さらに奥の歩を進めると、石塔の群。
これはお墓に違いない。
しかしそれにしてもずいぶんな数の墓石。
こんな山奥なのに、ここにはそれなりの規模の集落があったということか。
墓地の奥に上がるとまた一段と立派な石塔が周囲を睥睨していた。
周囲には二段に組まれた石垣を備え、他のお墓とは明らかな格の違いを誇っているようだ。
この集落の翁だったのかな。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
振り返った逆の方を見てさらに驚かされた。
この丸い石を立てるのって、いわゆる『卵塔』というやつだよね。
正式には『無縫塔』(むほうとう)といって、僧侶のための墓塔として使われているそうだ。
でもお坊さんのお墓だけでこんなにあるなんて、いったいここにはどれだけの集落があったというんだ。
いくつか点在する平場を進んでいくと、さらなる奥手にとうとう建物が現れた。
もちろん人の気配はなく、すでに廃屋と思われるが、それほど古そうなものでもない。
少なくとも探している沢田鉱山由来のものではなさそうだ。
辺りを探ると、石垣の上に車輪がその存在を訴えていた。
すわ、これはトロッコレールのものか?
でも車輪とみられる部分にフランジ(脱線を防ぐため車輪の縁に設ける出っ張り)がない。
石垣の角に車輪があるのは不自然だし、そもそもこれまでレール自体見つかっていない。
すると、これは何か林業機械の一部なのだろうか。
疑問は残るが、残念ながらこの日の探索はここまで。
山中にかなり大きな集落の跡はみられたものの、まだ鉱山の跡だったという確固たる証拠は見つけられていない。
また日を改めて調べてみる必要がありそうだ。
【続く】 かも知れない……。
・大賀茂石丁場跡はこちら。
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